転勤族の妻

転勤を何度恨めしく思ったことだろう。転勤の度に、せっかく軌道に乗った仕事を中断し、親しくなった友達と別れなくてはならない。「わたしの人生、どうしてこんなに細切れなのー?」

最初に名古屋に転勤になったときは、OL(日本輸出入銀行)をしていた。競技スキーに夢中で銀行間の”インターバンク”という大会で入賞して燃えに燃えていた時だった。結婚ってこんなにもいろいろ犠牲にしなくてはいけないんだ、と思った。

名古屋では、"Nagoya Avenues"という、英文の情報誌を発行し、当時その類のミニコミの草分けということでマスコミにも取り上げられ、一応ジャーナリストの端くれとしてバリバリにアンテナを張って生き生きとしていた。もちろんAvenues出版は海外への旅での経験から出た発想だ。そんな時、東京に転勤になった。Avenuesを手放すことはもちろん、ゼロから苦労して培ってきた周囲の人との関係を終えることが辛かった。

東京では5年の間に3人の子どもを出産した。皮肉にも、引きずっていたAvenuesへのこだわりがやっとなくなった頃、名古屋転勤。3人目を出産し、退院する前の日に辞令が出た。

名古屋では英語教室を始めた。自分の子どもとその友達。それと、大人向けの教室だった。軌道に乗って来た時に辞令。行き先は、ここだけは行きたくないと思っていた大阪だった。

そして、大阪では、乗りのいい大阪人の気質のせいなのか、趣味も仕事も勉強も、めっちゃ充実していた。いつかは大阪を離れなくてはいけないのだと、考えるだけでも辛かったのに、たった3年でその日が来てしまった。あんなに嫌で泣きながら来た大阪を離れる時は、もっともっと涙が出た。

今、東京で、また、大阪とは違った新しい生活が始まって、いろいろなことを考える。
大阪で始めた英語のサークルも勉強会として続いている。子どもたちもいろいろな形で英語を続けているそうだ。
名古屋で始めたAvenuesも100号を突破し今では素晴らしい雑誌に成長した。
わたしは、そこにはもういないけれど、わたしの蒔いた種はちゃんと芽を出し、今もいろいろなところで生きているではないか。
行く先々でできた友達と涙してさよならすることができるなんて、なんて幸せなんだろう。そうして出会った人たちはわたしの宝ものなのだ。
転勤を恨んでいたけれど、そうじゃない、こんなたくさんの素敵な人に出会え、たくさんのチャンスを与えたくれた夫の転勤に感謝しなくてはいけないと、やっとそう思えるようになった気がする。

                                   


大阪のUrauraEnglishのメンバーがとても素敵なプレゼントをくれました。
それは、大阪からの4つの日帰り旅行です。(近日残りをUPします)
ここに載せたのは、その時お礼の気持ちをこめて書いたレポートです。
すべて実際の呼称(英語のクラスで使っている名前)をそのまま載せました。

大阪のインパクトは、強烈でした。
だから、なかなか大阪の思い出を文章にするのは難しいのですが
このレポートから、ちょっとそんな思いが垣間見てもらえたらうれしいです。

京都散策  / 神戸ツアー /  岡町探索 /  センチメンタル大阪

 

京都散策
Guided by Yumi

出発  午前9時40分阪急梅田駅集合。Yumi, Mary, Cozy, Carrie, June, Candy , 私。Uraura月曜と金曜合同の初めての外出とあって,皆はしゃぎ気味。案内人のYumiちゃんは,このわがまま六人を率い,いささか緊張気味? 
  七人すっぽり収まるボックスシート2つを探し,特急列車の中をぞろぞろ歩く。ほとんど奇跡的に席を確保。40分,お喋りに夢中になっているうちにあっという間に,四条烏丸駅に到着。 

錦市場 Yumi,「こちらでコーヒーブレイクにするか。錦市場に繰り出すか。どちらにしましょう。」コーヒーの誘惑に負けずに錦を選んだのは、さすが、ひとたびコーヒーブレイクに入るとなかなか立てなくなるメンバーの性格を熟知している。細い路地の両側にぎっしりとしかも美しく並べられた京野菜,漬物,海産物。この市場が京の台所を支えているのだ。周りの目をはばからず,その前で写真を撮る。ひときわ目を引くのが練りものの店。銀杏の黄を花に見たて緑の葉っぱをあしらったかわいらしい模様の一見丸いはんぺんに見えるのは「あんぺい」だ。はんぺんより硬いが,かまぼことも違う。京料理には欠かせない麩の老舗「麩嘉」は、麩を焼く香ばしい香りを漂わせている。

扇子 錦小路から外れると昔からのたたずまいの「中央診療所」。二階は病室のちょっとした総合病院だ。車の往来を避けながら記念撮影。裏通りに静かに店を構える扇子の「宮脇賣扇庵」。皇后さまご来店の写真がある。きっと由緒正しいところなのだろう。テーマ毎に美しくレイアウトされた四つの部屋をくまなく見せていただく。大変高価で手にとって見るのもはばかられる。天井にも扇の日本画,欄間にも,電気の傘にも扇が施された部屋で,上品な店員さんが心配そうに見守る中記念撮影。
まもなく前方に「新京極」が見える。若者のストリートだ。中学の修学旅行で訪れた私が,数十年後にこうして大阪のおばちゃんとしてここを訪れ様とは誰が想像できただろうか。確かに13歳の私もここにいたのだ。

先斗町 木屋町通りの,一本先が先斗町だ。ずっとカタカナでポント町,と書くのだと思いこんでいた。やっとすれ違うことができるほどの狭い通りの両側に,きちんと掃除が行き届いた低い格子戸の入り口がびっしりと並ぶ。お茶屋さんだ。表札はどこも女の人の名前だ。そして隣に,小さく店の名前。どうりで一見さん入りにくい。昼間はひっそりとしていて人影もまばらだ。お茶屋を改装して,一般客向けの店にしているところもある。店から姿を見せた男の子も見るからに京男と言う感じで先斗町のイメージを壊さず,うれしかった。先方に外国人が見え,にわかに緊張感が走る。まさかこんなところでウラウラの英語の実習をしようというのであろうか。しかし,通りすぎてから小声で英語をつぶやいてみるshyなメンバーであった。
 お茶屋が途切れたところから,鴨川がのぞく。Yumiちゃんがわざわざ先まで眺めに行く。さては思い出のデートコースか,と思いきや,有名な鴨川納涼床を見せようと思ったのだ。残念ながら冬の間は出ない。夏は川原まで座敷を広げ,ちょうちんをともして風情たっぷりになるのだろう。

和柄 ちょうど四条河原町まで歩き,お昼の時間となる。なんと予定通りなのだろう。天候も散策にはもってこいの陽気だ。お楽しみのランチは「和柄」。川端通り沿いのYumiちゃん一押しの店だ。「後悔はさせまへんで。」と何度も言っていたので,期待が膨らむ。白地に「和柄」とだけ書いたちょうちん。もちろんお品書きはないので,初めてでは入りにくい。「お待ちしておりました。」と,感じよく迎えてくださる。Yumiちゃんが全部セットしてくれたのだ。明かりを落とした店内。細い廊下の両側は煤竹,天井は黒竹。階段を上り,迷路のようなな暗い廊下をみしみしときしんだ音を立てながら行く。中庭から外の光が入り,よく拭き掃除された廊下が黒く光る。案内された部屋からは川端通りの向こうの鴨川縁に先斗町のお茶屋さんが見渡せる。囲炉裏を囲み,床暖房の効いた掘りごたつ型の心地よいお座敷だ。1800円のランチが始まる。お通し。お魚料理はぶりのみぞれ蒸し。しっかりしたお出汁にゆずが利いて,ぶりがさっぱりといただける。鉄なべにおかゆが運ばれ,囲炉裏の自在鉤に下げられる。竹天井(あじろと言うそうだ)がきしむ音が趣がある。山椒の利いた雑魚をたっぷりかけて頂く。お浸しは季節の菜の花とふぐの皮のあえもの。お肉は黒こしょうの利いた牛肉のロース。浅葱とよく合う。デザートはゆずのシャーベット。そしてコーヒー。お部屋で,店の前で,遠慮もせずに写真を撮ってもらう。お詫びに,そして心地よいゆったりとした時間とお食事のお礼に,是非また訪ねよう。

白川通り  早帰り組のCozy,Maryと別れ,靴擦れのできたCandyがバンドエイドを買い,午後の部がスタートした。賑やかな四条通界隈から一歩外れ路地に入ると,タイムスリップしたかのような風景が現れる。漂う空気も一変してしまう。これが京都なのだ。細い川に沿って立ち並ぶお茶屋さんの二階にかかるすだれはなんとも風情がある。各家毎に微妙にあせかたが異なり,渋い色模様を見せる。ほとんど人気もないが夜は賑わうのだろう。この路の名は,通り掛かりのおばさんに聞くと親切に「白川通り」とおしえてくれた。一筋先の祇園新橋と共に風致地区に指定されているということだ。


骨董街 Cozyの義弟が修行していたという知恩院に向かう参道が骨董街だ。小さな骨董品店がぽつりポツリとあるがちょっとこの団体では入れそうにない。と,入り口に「どうぞお入りください」という張り紙を発見。奥まった入り口に向かってぞろぞろと吸い込まれる様に入ってしまう。昔の家をそのまま利用した骨董店だ。靴を脱いでひんやりした室内に所狭しと陳列された骨董品の数々を興味津々と見て回る。おばあちゃんの家にころがっていそうなお皿が一枚一万円だったりする。絶対に買いそうもない観光客丸出しの私たちに親切に接してくれる店の人。Judyがいたら喜んだだろうに、話も弾んだだろうにと話す。

長楽館 知恩院の先の派手な洋館は「長楽館,かつてのタバコ王の私邸でございます。こちらでお茶がいただけます。」と、Yumiちゃん。うれしい。ちょうどコーヒーが飲みたい頃だったのだ。タバコ王の贅沢三昧の生活を彷彿とさせるルネッサンス様式に内装を施された各部屋でティータイムを過ごしている先客は妙に優雅に見える。奥の部屋に通されるが,暖炉のある広い部屋に貸し切り状態だ。優雅な気分に浸り思わずダンスを…。シャンデリアに、大きな窓の白いカーテン。この静かな広い部屋に一人でいたら結構怖いだろう,と,三人がトイレに立って思わず心細くなってしまった。

産寧坂 長楽館から出たところで人力車のお兄ちゃんが立ちはだかる。「こんにちは〜」役者志望のごとく,元気だ。かなり粘って着いてきた。つれなく断る。霊山歴史館の横に大きな観音さまが見える。Yumiちゃんが「わっ」と驚くものと言っていたのがこれだ。ちょっと意外な感じに「ぬっ」とすわっている。しかしそれよりもいつのまにか,ねねゆかりのねねの道,石段の二年坂に,出てきたのは、京都の地理が全くわかっていない私にとっては驚きだった。車で名所のみを回るのとは全く違う。やはり,こうしてゆっくりとその空気を吸いながら,肌で感じながら歩くのが一番だ。この先の産寧坂を登っていくと清水寺に出る。この先はまたの機会に残し,そろそろ帰路に着かなくてはならない。そこで石段を降りてくる舞妓さん二人発見。終わろうとしている京都での時間に,なんとタイミングよく現れてくれるのだろう。過去だけでない現在進行形の京都を感じさせてくれる。

八坂の塔 四条通を渡り,何気ない通りを振り返ると,八坂の五重塔がちょうど見える。こんな庶民的な京都のポイントを逃さないYumiちゃんの名ガイド振りに改めて感心。ここら辺はYumiちゃんの友達が下宿していたところで,夜には隣のお茶屋さんからトンチンシャンと三味線が聞こえたそうな。下宿やあり,お茶屋さんあり,てんぷらやさんあり,しかも,どの家も小さな格子戸をぴしゃりと閉めて,静かなたたずまいなのは,不思議な感じがした。建仁寺の中を横切って,祇園に向かう。くねくねと迷路のように民家の間を行くと,ホテルキングの入り口から出て来たカップルと鉢合わせに,角を曲がると,別の出口からもう一カップル。京都のラブホテルも昼間から賑わっているようだ。

おみやげ 四条通に出て,がお土産やさんの一角に抹茶パフェで有名な「都路里」を教えてくれる。今日はは並んでいなCandyいが,いつも列をなしているのだそうだ。次回に寄りたい店のリストに入れておこう。鴨川を渡り,左に折れると奥に見えるのが京つけものの味を伝えて百六十年,「村上重本店」だ。お土産はここに決まりだ。みんなで同じ白地に茶色の紙袋を下げて満足そうに店を出る。もちろん,日本で最初の喫茶店「フランソア」をのぞくことも忘れなかった。ドア−まで開けて声の大きなJuneが「ホント,古そうよ。」店の中に響いたに違いない。「店もこんなこと慣れてるから」とYumiちゃん。そんな観光客のわがままも寛大に受け入れてくれてくれる京都なのだ。

四条川原町から,ちょうど着いた特急に乗りこむ。五時過ぎ帰着予定の時間もちょうどよい。なんと心地よい疲れなのだろう。家族とも恋人とも違う,京都は気の合った友達と行くのが良い。くつろいだ気分で京都の風情を堪能した充実の一日だった。Yumiちゃん,ほんとにありがとう。 

 

神戸ツアー              
March 28, 2001
Guided by Judy

阪急神戸線ホームにて待ち合わせ。June, Amy, Carrieに私。遅れたことのないJudyが数分遅刻して階段を駆け上がってくる。うまい具合に特急に飛び乗る。震災から6年経った神戸へのツアーが始まる。

北野
30分ほどで三宮。北野坂を上る。きれいに花をあしらった歩道、オシャレなお店、入りたくなるような喫茶店が並ぶ。こじんまりした雑貨屋さん、J&Fでいきなりミルクピッチャーを購入。もちろん新しい東京でのUrauraでのティータイム用だ。白い、シンプルな形と、ちょうど良い大きさが気に入った。Juneも同じのを買う。

北野クラブの前に見えるは粗大ゴミ!しかも店の改装か何かで捨てられたのか、量と言い質と言いなかなか充実している。ここから持っていくにはちょっと重いな、と思案しつつよくよく見ると、鏡台、靴、服、果てには写真まで。しかも結婚写真まで面を向いてばらばらに散乱している。これは夜逃げか何か事情がありそうだ。しかも歩道を占領し、せっかくの景観を乱すどころか営業妨害だ。
石畳を上り、降り出した雨の中、風見鶏の館。若者たちと同じように劣塔に立つ風見鳥をバックに写真を撮る。北野天満神社。デンマーク館、オランダ館、ラインの館、英国館、Benの家。

三田屋
お昼は、Judyのお勧めの能芭亭が1時間待ちのため、三田屋でステーキランチ。入るや否やお肉とにんにくのたまらない匂い。まずは地ビール、三田屋のハムと、たっぷりのオニオンスライス。ステーキはやわらくておいしい。以前にYumiの運転で神戸の外国クラブに来たときの話から(Yumiの運転がすごく上手で何度も車線変更の時クラクションを鳴らされた)、Amyのハワイでの運転秘話を聞く。(対向車線を走ってしまって正面衝突しそうになり、中央分離帯に乗り上げて横切って難を逃れたのだそうだ。)

メリケン波止場
生田神社、東急ハンズ、参道を通って、線路反対側へ。ポートタワー、ホテルオオクラを目当てに海のほうへ。神戸に行くならやはりベイエリアでしょ、と神戸出身の友達(Miki)に勧められたメリケン波止場に向かう。さわやかな海の風。帆船と波をかたどった白いパイプフレームの海洋博物館。オリエンタルホテルはこの夏、四国旅行の帰りにフェリーが立ち寄った所だ。海側からの全景がよみがえる。確か、ここら辺は震災でひどく被害を受けたところではなかったか、と話したととたんに、当時のままの様子を残した一
角に出る。ここは神戸港震災メモリアルパークとして写真と解説で被害と復興の様子がわかりやすく展示されている。もちろん英文の解説を読み、うなずくメンバーであった。

元町
南京町でのおみやげショッピングも楽しい一時だ。オイスターソース、ドライフルーツ、お茶…。元町商店街。「観音屋」で生チーズケーキ。ここはJudyが「るるぶ」で調べておいたコーヒーブレイク用の店だ。地下の観音様だらけの不思議な店だが、お客はいっぱいだ。直輸入の生チーズを使った暖めて食べる話題のチーズケーキをいただく。有名人の色紙がいっぱい。鶴米も訪れている。ここではもちろんUrauraらしく、英語の勉強の話。Judyが「ウラちゃん耳が良いのよね。」と言ってくれたので、「耳は鍛えなくっちゃ。」と私。Judy、「もっと重いイヤリングが良いかしら。」Amy、「耳掃除しなくちゃ。」「?!?! みんな違うでしょ。たくさん英語を聴くって言いたかったの!」

本屋事件
やっぱり買い物は楽しい。三宮センター街をきょろきょろしながら歩く。Judyの行き付けのブティックものぞく。June、靴とコーヒーを購入。神戸ベルでみんなそろってあしたの朝食にドライフルーツ入りのパンを買う。サンチカではケーニヒスクローネでおみやげ。どこをどう歩いたのかわからないがJudyは目をつぶってもわかると言う感じである。最後に、もう3日後に引っ越す東京の詳しい地図、旺文社スーパーマップルを本屋で購入。広い紀伊国屋探すよりも、通り掛かりのサンチカの本屋で済んで良かった。輸入雑貨店で待っていたみんなが、わたしの持っている本屋の袋を覗く。そう、大阪人は、こうやって何でも見たいのだ、何にでも首を突っ込む。「なんで関西の地図買うの?」「関西の地図なんて買うわけないでしょ…」と言いながら引っ張り出された本を見ると、何を間違えたか本当に私が買ったのは関西版ではないか! 何と、上の一冊だけが関東版で、重ねてあった下の方は関西版だったのだ。最後までどじな私であった。いちいちのぞいてくれたお陰で助かった〜。引越し間際で、もうここまで本の交換の為に出てくることはできなかっただろうし。電車に乗る前に気が付いてよかったー。

その間に輸入雑貨店でしっかり調味料を買い込んだJune、女性は本当に買い物好きだ。そして神戸はゆっくり時間をかけてショッピングをしたい町だ。きっと大阪にいたらまた神戸に買い物に足を運んだと思う。

帰りの電車で東京で買いたての関東地図で新居の位置を確認。偶然近くに住んでいたというJune(やはり転勤族で大阪に赴任中)の家の場所もチェック。「東京に戻った時は近くだからまたUrauraにいれてね。」いつになるかわからないけれど、ほんの少しでもそんな風につながっていられることが今のわたしにはうれしい。少しずつ新しい生活に気持を向けながら別れの寂しさを紛らわす。神戸の本屋事件も良い思い出になって、東京でマップを開くたびに、大阪を、神戸を、Urauraのみんなを思い出すに違いない。そして、きっとみんなもこんなどじ振りをずっと語り草にしてくれるに違いない。


センチメンタル 大阪
March 23, 2001
Guided by Cozy

なぜもっと早く大阪を歩き回っておかなかったのだろう。10日ほどで大阪を去ろうとしているというのに。
"通天閣"だけには行っておきたい。そしてその日がやっと来た。

一回は延期になり、よもやかなわぬかと思われた大阪ツアーである。案内人の一人となるはずだったMaryはとうとう行けずじまい。Cozyに案内は一任して、CarrieとKelly、Mikiそして私の5人。

梅田で、JR環状線外回りに乗りかえる。車窓から大阪城と大阪城ホールを確認。鶴橋駅では焼肉の匂い。新今宮下車。通りの向こうに職安が見える。そして並びはホテルが立ち並ぶ。出稼ぎに来た人たちが利用する為のホテルなのだ。いろいろなホテル街があるがこういうホテル街ははじめて目にする。踏切を渡り、左折するとフェスティバルゲート。あたりは一変する。新今宮の反対側の出口からはすぐのところだ。地下鉄の動物園前で降りれば「きれいなまま来れる。」と、Carrie。 Carrieは同じ転勤族というのに、フェスティバルゲートにもスパワールドにも来ている。「こっちから来ればよかったかな。」と、Cozy。いや、見たいのはありのままの大阪だから。

一筋向こうはいきなり賑やかな通りだ。ふぐ料理の「づぼらや」の店構えもにがやかだ。いよいよ庶民の町の雰囲気が出てきた。新世界のパチンコ屋さんの並ぶ通りからいよいよ通天閣が見える。もちろん通天閣をバックに写真撮影。「日本一周演歌野郎」が道端で歌う歌もなかなか聞かせる。王将の横のエレベーターで2階へ。なんと閑散としたチケット売り場なのか。申し訳程度に並ぶお土産のキーホルダー。しかも店員さんはいない。商売気が全然ないのだ。しかし、5階展望台に向かうエレベーター(2台のうち1台は調整中)は満員だ。五階で扉が開くと一瞬幼い頃に行った東京タワーを思い出した。そうだ、ここは東京で言う"東京タワー"のようなものなのだ。しょっちゅうは行かないがそれでいて誰もが一度は訪れるシンボル的存在なのだ。梅田のビル街、その手前の日本橋の電機屋街。看板が皆こちらを向いている。鮮やかなピンクのフラミンゴが見えるあれは天王寺動物園。よくみるとキリンがえさを食んでいるのが見える。阪神高速のすぐ隣で、動物たちの天国とは言いがたいかな。

昔、新世界界隈の商店街の活性化の為に作られたのがこの通天閣だ。時代は流れ、31日にはUSJもオープンし大阪の新たな名所になる。一方で、大阪の庶民の臭いを残したこの通天閣は、手を入れられぬままに大阪のシンボルとしてあって欲しいと思った。Cozyの実家、Kellyの実家のあたりを眺める。そして私が大阪に来て観光した数少ない場所のひとつ、南港が遠くに霞んで見える。Carrieが息子の豊くんに頼まれたお土産を買う。おばあちゃんにあげるのだそうだ。そしてビリケンさん。合格、縁結びの神様。アメリカの女流美術家が不思議な神の姿を夢見て作り、昔にアメリカで流行したものだそうだ。足の裏を撫でながら願いを唱える。二階にもどると長い列だ。平日だというのに。見渡せるほどのフロアーを一周すると、不思議なものをいろいろ発見。昔から置いてありそうな太ったり、縦長になったりして見えるゆがんだ鏡。隣の相手が見えるお見合い鏡。ガムテープで補修されたショーケースには手品の小道具。卓球台。空のショーケース。昔は記念にもらえたという、通天閣の工作が数個、隅のほうにさみしくおいてある

出たところの釣鐘饅頭でお土産を買う。坂田三吉の碑のまえで写真。ジャンジャン横丁を通ってみたかったがCozy曰く、「当たりやがいて、女だけでは歩けない、危ないところ」なのだそうだ。とても興味をそそったが、やむなくガイドに従った。市立美術館に向かう陸橋を通って動物園を横切り、天王寺に向かう。ブルーシートのホームレスの家が転々としている。植物園横では、なんと"野外カラオケコーナー、一曲200円"と、営業をしているではないか。それも適当な距離を置いて五、六件もある。もちろんテレビに映像も映る。合わせて踊ったり、喫茶コーナーでくつろいだり、ホームレスの社交場と言ったところだ。カメラを向けると怒鳴られた。香港で露天の散発屋を撮った時、かみそりを持ったまま追いかけられた事を思い出した。しかし、こんな公共の場でカラオケ店の営業なんて、「いいの?いいの?」と言う感じである。彼らの死活問題にかかわるので撤去できないのだろう。

駅前では人だかりができている。将棋を指しているのだ。これもまさにアジアの雰囲気だ。天王寺の隣は近鉄あべの駅、Cozyの地元だ。新しいファッションビル、Hoop。シュールな音楽が流れる。1時半だというのに、お目当ての「庵」は1時間待ちだ。「龍圃小吃館」という中華の店にはいる。デザートはKIHACHIのソフトクリーム。食べ終わる頃には長蛇の列。デザート第二段はたこやきの「やまちゃん」。Hoopの隣にある。ここもHoopを横切り反対側の別のたこ焼き屋まで続く長い列ができるのだそうだ。秘伝のだしでしっかりした味がついているので、ソースなしでおいしい。ちんちん電車を見ながら五分ほど歩き、おいもの「嶋屋」へ。Cozyの小さい頃からのおやつとなった大学芋を買う。小さな店だがいも一筋、雑誌にも載るようになった。今は気立ての良さそうな息子さんが店番をしている。


皆と別れ、西中島南方の駅からガード下を通って淀川に向かう。歩道に寄せて中で昼寝中の営業車。カーテレビを見ながら食事中の人もいる。それにおぞましいまでの廃棄車。そのさみしい歩道はいつもいろいろな生活模様を見せてくれる。そしてその暗い道から土手に上がる瞬間がとても好きだ。急に視界が開け広い河川敷の向こうに光る水面、向こう岸の奥には高層ビルが美しく並ぶ。3年前にはじめて来たときにはそこが梅田だとはわからなかったっけ。河川敷の草原で仁美といっしょにひばりの雛を見つけてはしゃいだっけ。来るたびに少しずつ景色が変わる。いまは岸辺の葦がきれいに刈られていて、そこで野犬が何匹もくつろいでいる。遠山のおじさんはいつものように半そでシャツで元気そうに笑う。やっぱり大阪を去るまえに来てよかった。おじさんは「また来るんだろ」と言う。「自分はずっとここにいるから」と。電話もないし、住所もないので手紙も書けない。ここに来なければ生きているかさえわからない友達って、他にいるかな。最後に写真を撮っていいかと聞くと、「写真はあかんねん。」何かおじさんと知り合った証拠が欲しくて、家だけ撮らせてもらった。これがつまりおじさんの言う、物にとらわれてるってことなんだよな。

土手に向かって歩くと広い河川敷に低い夕日が長い影を落とす。土手にはもうつくしが生えている。早咲きの桜が二本満開だ。春が来たんだなあ。花見の頃は、東京。どんな生活が待っているのだろう。

 

岡町探索             

March 8, 2001
Guided by Judy

曽根西町界隈

雪雲の寒い朝だ。Judyの家に集合。今日の探索隊はJudy、June、Amyと私の4人。まずはJudyのご近所から。いきなり民家の庭に豊中市の保護樹林に指定されているクロマツ。この鈴木さんのお宅の夜のライトアップはすばらしいとのこと。静かな住宅をさらに曽根西町、岡町南とUraura探索隊は進む。黒ベイのお屋敷、洋風の家。それぞれの家にはその住人の歴史が、そして想いが込められている。どんな人が住んでいるのだろう。そんな好奇心はやっぱりだれにもあるのだろう、ご近所のJudyもJuneもすでにチェック済み。「ここの人は家に似合わず...。」というのが意外にも多いのだそうだ。大きなモルモン教の教会。その先には「昼から歌って踊れる店、リベリカ本店」。知る人ぞ知る、美空ひばりファンの集まる店だそうだ。24日6時から美空ひばりファンの集い。

大石小石塚

四世紀末の豪族の墓といわれる。前方後円墳の二対は林の中にひんやりと横たわる。千里ニュータウンに近いところに住んでいて新しい豊中しか知らない私には驚きである。四世紀にすでに集落があったのだ。桃山台当たりがまだ未踏の山だったころ、ここは原田城を中心とした城下町だったのだ。古墳の横の伝統芸能館(石塚会館)には建物の建設工事の時に出土した円筒埴輪棺が展示されている。

岡町

岡町北の蔵のある家、柏木さん。立派な松ノ木が黒塀からはみ出ている。むかしは空襲をさけるために塀が黒く塗られたそうだ。なかは土塀だったりすることもある。Urauraでたびたび話題になったことのある奥内美術館、個人収集家が自宅を美術館にしている、奥内さんだ。呼び鈴をいくら押してもお留守のよう。ドアも開いていて勝手に入れてしまうのに。去年泥棒が入ったのだそうだ。結構無用心。収集家とはおおらかだ。まもなく岡町図書館。Carrieが外国の絵本が豊富といっていた図書館だ。予定外だが立ち寄ることにする。外国の本が見当たらないので尋ねてみると、奥に独立した洋書専用の部屋があった。あまりのうれしさ、いや、悔しさに「え〜!!」もっと早く来ておきたかった。知っておきたかった。それでも、Juneにカードを借りて、あと2回ある子どものレッスン用に英語の絵本を借りる。自分で読みたい本もたくさんある。一日かけてゆっくりいってみたいところだ。

岡町商店街

岡町の線路をくぐって北側が原田神社だ。創建は天武天皇時代と言われる。国の重要文化財に指定されている。向かいに中外。ちょうど三年前大阪に来たばかりの時、入学式に必要な体育館シューズをかいに来た所だ。商店街の「欅昆布」、昆布店の店の真ん中に樹齢四百年の太いケヤキの木が。「ダイソー」もコースに入っていた。豊富な品数。噂通りだ。しばし買いものに熱中。

旧能勢街道。幕末〜明治の造り酒屋、良本邸、高木邸。震災での被害が大きく、古い建物がずいぶん損壊したそうだ。

バンジャーラ

ここも来たいと思いながらなかなか来られなかった店だ。野菜カレー、チキンカレーのランチと、パラクパニール(ほうれん草とチーズのカレー)を注文。話が弾む。はじめてレッスンに来た時のこと。第一印象とか。どういうわけか、こうして出会えた、英語を通じての不思議な縁のこと。 声を大にして言えるのはUraura Englishやっててよかったってこと。お陰でみんなに会えたのだから。この出会いは私の宝、私の自慢です。

豊中駅方向に線路沿いに歩くとまもなく熊野田幼稚園の友達のお店「ポピーシード」。ここでのパンの買い物もコースに組み込まれている。あいにく友達はいなくて、ご主人に挨拶。

Juneの部屋

豊中でのコーヒーブレイクは時間の関係で喫茶「June」に変更。観葉植物のグリーンが見事なお部屋だ。この前伺ったときはご主人の作ってくださったおいしいカレーをいただいたっけ。「主人は見せられないのよ。いなくてよかったわ」なんて言ってるけれど、とっても仲が良いのはお見通し〜。

                       **************

買ったんだけどちょっときついの、と言ってコートをくれた。
モデルのようにすらっとしたJune。
大きな声で「すっごく安かったんだから」といつものように底抜けに明るく。
病院から一時帰宅中に届けてくれた手編みのマフラーと一緒に
Juneを思い出して着ています。
このベージュのコートがJuneの忘れ形見になってしまいました。

なぜか他の三篇に遅れ載せそびれていたこの一篇をJuneの四十九日におくります。
(2002年11月13日)