スキーの部屋
スキー場名 滞在日数 <勝手気ままな回想です。ゲレンデ情報ではありません。>
八方 通算して
約100日
私のスキーは「田中屋旅館」なしには語れません。なにしろ、高校生だった私が、スキーのメッカ八方のど真ん中の旅館で働かせてもらえたのですから。

そもそも八方に魅せられたのは、高校のスキー教室で毎シーズン通っていたからで、何とかして長〜くスキー場に居られる手はないかと考えて思いついたのが”スキー宿での居候”で、かたっぱしから電話してやっと雇ってもらえたのが「田中屋」さんだったのです。

キャベツの千切りも上手にできなかった私ですが、スキーしたさに必死でした。料理はおばあちゃんと奥さんの特訓をうけお陰で今のような腕前に!(?)

そしてスキーはというと、仕事が終わるとバイト仲間の今村さんにくっついてとにかく兎平まであがり、夕食の準備の時間まで滑り、夜は厨房でスキースクールの指導員をしているマスターの理論講習を(タダで)受けるわけです。スキー上達には素晴らしい環境だったのです!(その頃大学生だった今村さんは準指を取り、10年余り八方尾根スキースクールのインストラクターをしていたようです。)

もちろん遊びたい盛りの高校生、実は友達が泊まりに来て酔っぱらってしまったり、ある時は親代わりの生活指導も受けていたりして…。それでも「今年もお願いしま〜す」とスキーをかついで一人あずさに乗りこんで、よく通いました。懲りずに面倒みてくれた田中屋さんには感謝のしようがありません。

「田中屋」さんは、長野オリンピックの前に建て直し、名前も「ベルグランド」」とおしゃれになりました。「ベルグランド(Berg-Land)」のリンクはこちら。昔は受付には(頑固だけれど味のある)おじいちゃんが座っていたのだけれど、今ではホテルのような受付に若いお姉さんがいす。(何年か前に家族でお邪魔したときは、息子がお姉さんを気に入ってしまい離さずに、失礼いたしました。)

みそらのやエコーランドのペンション街にも行きました。静かな森の中にあっという間に賑やかな街が出(現在も健現したと言う感じです。変化が激しいのでかわいいペンションも何年かして行ってみると廃墟になっていることもあります。

ソルトレーク五輪、モーグルで活躍した上村愛子選手の家も八方にあるペンションだったのです(今も健在)。なんとそこ、昔に泊まったことがあるのです!あ〜、一緒に写真を撮っておくんだった。(やや?まだ生まれていなかったかな?)

栂池 通算
約200日
(now writing)
乗鞍 通算
約90日
乗鞍は、大学時代に小金井市のスキースクールの指導員として行ったのが最初でした。その後雑誌でオープンしたばかりの「ロッジサウスコル」をみつけてすっかり気に入ってほとんど毎年お邪魔しています。山の好きなオーナーのこだわりのウッディーな部屋、趣味の良い落ちついたインテリア、それに温泉の硫黄の臭い。大きなストーブのあるひろ〜い吹き抜けのロビーでくつろぐのが最高。今回はどの部屋かな、というのも楽しみ。各部屋、違った種類の「木」で作られているのです。「ぶな」の部屋はドアもインテリアもみんな「ぶな」という風に。

お正月にはときどき長男の健太郎君が北海道から来ていて会えることがあります。もうずいぶん奥さんには会っていないなあ。朝はオープン当時から変わらぬおいしい手作りパンと、北海道から直送のハムやソーセージがたのしみです。

乗鞍と言えばお勧めのコースは二つ。第一には何といってもリフトを三つ乗り継いでいく(ゴンドラができそうでできないんだよね)かもしかゲレンデ。その中でもリフト下のこぶ斜面。でも今はこぶも削られいつもフラット(片斜面の)になってしまった。ゲレンデ頂上付近には登山者のテントが張られていて、雪山登山の雰囲気が漂って好きだなー。だいたい雪を踏む音が違う。

第二に鳥尾根ダウンヒルコースの中盤以降は相変わらず深いこぶの連続で気分は上々なのだが、残念なことにリフトから見えないので、ギャラリーがいなくてちょっと物足りない...。

あ〜、やっぱり今年も行きたくなってきた。今年は予約が遅れてしまい、お正月には行かれなかったのです。

サウスコル(現在は「ペンションサウスコル」)のリンクはこちら。

苗場 10回くらい 2002年は苗場で迎えました。ゲレンデの花火、レーザー光線、タイマツ滑降を、向いの泉郷コンドミニアムの高層階の部屋から、友人ファミリーと一緒に見ました。

苗場にスキーに行くのは本当に久しぶり。苗場のイメージは、雪質が悪く(いつも春スキーが多かったからかな?)ゲレンデも道も混む、だったのに、今回は、雪質は最高、往きは全く混まず、ゲレンデもリフト待ちがほとんどない状態でした。苗場が混まないなんて、スキー人口は、そんなに減っちゃったの〜?

苗場といえば、ユーミンと皆川賢太郎くん。ユーミンには会ったことないんだけど、今や日本の競技スキーのホープ、賢太郎くんとは、何回か会ったことがあります。(得意気)
ペンションハイジも(サウスコルのように)オープンの年に行って気に入り、何年も通いました。
小さい頃は「マルコメちゃん」と呼んでいた賢太郎くんが、年々立派なスキーヤーになって、ハイジの壁は賢太郎くんの写真がいっぱいになっていきました。

そして、今年は、ハイジには、垂れ幕がかかっていました!

上村愛子ちゃんといい、皆川賢太郎くんといい、私の行ったペンションの子どもはオリンピックに出ちゃう...。私って、運を呼ぶ女? (ちがうちがう)

帰りの3日には豪雪で、車がすっぽり雪に埋まってしまいました。久しぶりにこんな雪を見ました。ず〜っと前に、ハイジに泊まったときも、大雪で電車が不通になってしまったことがありました。次の日は仕事だし…と困っていたら、他のお客さんが電車が動いているところまで車で送ってくれたことがありました。

しらかば
2 in 1
5回 東京から日帰り圏のスキー場。

苗場に続く今シーズン2度目の今回(2002年)のスキーは、市のスキー連盟主催のスキー教室。約20年振りのスキー教室参加だ。憧れのコーチにくっついて、四苦八苦して滑った昔のことを思い出して、ワクワク。

ところが!!私は「浦島太郎」状態になってしまった。今や私のような「トラディショナル」と言おうか、「クラシック」と言おうか、つまり「ノーマル」の板をはく人はほとんどいないのだ! いつの間にかゲレンデのみんなの板は「カービングスキー」になっていたのだ。

「カービングスキー」のことを知らないわけではなかったが、スクールに参加した40名の中でノーマルの板を履いていたのは、私一人だったのだ。レンタルスキーもカービング。お勤めを終え、もう用のなくなったノーマルの板は、外にごみのように山積みされていた。

そして! 指導も様変わり。今や、指導の中心はカービング要素の入った滑りが中心だ。スタンスも肩幅に取る。 SAJの検定も2年前にガラリと変わったのだそうだ。

我がコーチは、ゲレンデでの安全対策のため、ボードも始めたそうだ。つまり、突っ込んでくるボーダーにあれこれいちゃもんをつける前に、ボーダーの気持ちをわからなくてはいけない、というわけだ。

3日間の講習で随分オールドファッションスキーを改めたつもりだ。
さっそく板も変えなくては。ここまでショックを受けてしまったら、もうノーマルにはのれない。でも家族5人分の板をカービングスキーに買い変えるには...。
考えるだけで頭が痛くなるのでした...。

パルコール嬬恋 2回 7,8年前に行った時の美しい樹氷が忘れられずまたいつか行きたいと思っていたゲレンデ。2003年初滑りに訪れたパルコール嬬恋は期待を裏切らぬ素晴らしい雪景色で迎えてくれました〜!
ゴンドラからの眺めはゲレンデのまわりも、山々の眺望もそれは見事です。
そして、前に来た時はまだ生まれていなかった一番下の仁美も、今回はゴンドラで上り、3,800mのロングコースを滑り降りてくることができました。パウダースノーとお天気にも恵まれて、ルンルンの子供たちでした。
湯の丸温泉 2回 東京から2時間のパウダースノー。標高(1,800m)が高く気温が低いので雪質は抜群です。ただし寒くて強風が吹きやすいのだそうです。

 

まだまだつづく...