やっぱりレースが好きかも
2003年2月、20年ぶりに競技スキーに復活。回転と大回転に出場してすっかり昔のあの興奮を思い出してしまいました。
 
レース歴 1月中旬頃に地元スキー連盟のSさんから電話があって2月の都下連の大会に出ないかとのお誘いがありました。と言ってもわたしにではなく息子にです。息子はというと歩くと同時にスキーをはきスキーの大好きな親につれまわされ小さい時からヘルメットをかぶってどこでも突っ込み転がりしてきました。小2の時に父親が探してきたレースに小3ということにして(出場資格が小3からだったので)出場したのがこれまでの唯一のレース歴ですが。その時はとにかくレースに出してやりたくて連れて行ったのですが、いざ集合してみるとみんな地元の○○レーシングチームとか、スキーチームに所属していて所属チームがなかったのはうちの子だけでした。仕方がないので小学校の名前で登録しました。しかもレーシングワンピを着ていないのもうちの子だけ。それでもスタート地点からは崖になっていて先が見えないようなコースを何とか完走したものでした。それから転勤続きだったことと大阪時代は少年野球を休めないというような状況もあってスキーは正月のレジャー程度になっていました。
試験前の大会参加 今回のスキー連盟のSさんのお誘いは都下大会で「市のスキー連盟の所属」ということが魅力でした。公式試合としては登竜門でありレース経験のない初心者でも出場できるということ。それにSさんがレーシングスーツを貸してくれると言ったことが息子の心をくすぐりました。レースの翌日の月曜日は中学の期末試験だというのに出場することにしたのです。私たち親もちょっと考えました。大事な試験の前に練習もしていないレースに出るなんて、と思う反面、せっかくの機会だから行かせてやりたい、思いきり好きなことに飛び込んでいくような子であってほしいという気持ちもありました。
付き添い転じてエントリー Sさんがつれていってくれるものと思っていたのですが、父親は当然のように私も行けというので私が付き添いで行くことになりました。せっかくならお母さんも試合に出ないかと言われ、最初は断ったものの結局エントリーすることになりました。こうしてSさんのお誘いのお陰で、もう再び味わうことのないと思っていた禁断のレースの快感を思い出してしまうことになったのです。
ポールの緊張感 不安と楽しみが入り混じった複雑な気持ちでした。でも気楽でした。以前に(もう20年前…)にレースに夢中になっていたころは毎週のように夜行バスでポールレッスンに通い0.1秒でも速く滑りたいと必死でした。今回は反対にあれ以来ポールをくぐったことがないので勘も何もありません。このまえカービングの板に変えたばかりでまだ滑りに慣れない不安もありました。ただただ旗門をちゃんと通過して完走できれば良いというくらいで、欲がなかったので若かりしあのころのレースの緊張感とはちょっとちがったのかもしれません。しかも今回は息子が主役でしたし。
インスペクション ゲレンデに着くと大きな電光掲示板。あー、ここにタイムが掲示されるのだ。電光掲示板のすぐ下のゴール地点で開会式。あいにくの雪が降りつけ寒さで体が震えます。初日の回転競技は午前に1本、午後にポールセッティングをかえて2本目を滑りその合計タイムを競います。その一本目のインスペクションがはじまります。インスペクションというのはコースの下見です。旗門の間隔を見ながら特に入るのに難しい旗門をチェックしたり雪の状態を見ながら横滑りやボーゲンでゆっくりと降りていきます。昔出た志賀の大会では前夜に旗門セッティングの印刷された紙が渡されたので前日からコースをイメージしてなかなか眠れなかったものです。そんなことあんなことをいろいろ思い出してちょっと緊張してきました。絶好調だったころ良い調子で2位に入り大喜びしていたら旗門不通過だったことがわかり失格になってしまいリフトで涙がポロポロ流れて止まらなかったこともありました。もう20年前になります。こんな歳になってまたレースに出る日が来るなんて。なんだか不思議なきもちです。
ジュニアの部スタート インスペクションを終え間もなくするとコース閉鎖の放送が流れ前走が出発しました。リフトの上から見えましたがスピードに負けてコースアウトする前走者もいて慎重にすべらなくてはと思わされました。続いて小学生、ジュニア中学生、中1の息子はジュニアの部です。小雪が舞う中順番が近付くと上着を脱いでレーシングスーツ姿になった息子は揚々とスタート台に進み緊張感を楽しんでいるように見えました。スタート!自分の番が来たかのようにどきどきしました。何とか転んだりコースアウトしたりはなかったようなのでひと安心です。その後は女子・3部 45歳以上の部です。私が今回練習もしていないのに参加する気になったのは、この女子3部に4人の仲間が出場するからです。競技経験なしのしかもお年がお年、一番上の山田さんは65歳なのです。65歳で初めてのポール。でも滑り終わると「とっても楽しかった、来年はレーシングスーツを着たいわ。まずはお腹をひっこめなくちゃ。」と一番うれしそうでした。
一本目スタート 女子・2部 30歳〜45歳の部の私もゼッケンコールされ周りの選手が次々に上着を脱ぎいかにも速そうなワンピ姿になりました。ストレッチをしたりコーチに励まされたり闘志がムンムンです。緊張感が高まってきます。でも上位をねらったり競ったりという気持ちがないので、むかしのあの緊張感とは比較になりません。スタートするともう進むだけです。前に前にセットされたポールは滑っている自分のために用意されたコースで誰も横切りません。自分の番の時は旗門員も時計も自分のために動いているのです。回転競技ではスピードは時速40キロになると言われています。大回転ではもっと速いんです。風の音と雪面のバリバリという音が聞こえるだけ。それがレースの醍醐味です。ほんとうはかっこ悪いんだろうけれど、イメージではワールドカップの選手のあの力強い滑らかな動きをしているんです。
7位 あっという間にゴールです。電光掲示板を見上げるとゼッケン番号4番目の私のタイムは2位につけています。一瞬でもうれしいものです。その後に滑る人に次々に抜かれてとうとう5位に、6位に、そしてとうとう入賞圏外の7位に…。それでも12人中7位は、20年振り、練習なしにしては満足です。入賞ぎりぎりというのが「惜しかった、来年こそは」という悔しさと同時に次への希望を与えてくれると言うものです。
男子の部 男子の部は細かい年齢分けで5部に分かれています。我らのS氏は60歳以上、5部です。60歳以上といえばおじいさんばかりだとお思いでしょうが、派手なスーツにヘルメのおじいさんたちはそれはそれはかっこよくしかもタイムも女子の部とは各段の差です。その中でS氏は堂々の2位でした。
2本目 息子は残念ながら旗門不通過でした。ジュニアは6人中完走したのが2人だけでした。ちゃんと滑っていれば3位になれたのに、と悔しさが残ります。午後のセッティングのインスペクションが終えると、2本目はタイムの遅い順にスタートします。ゼッケン順ではなくコールされた順番に並びます。ビシッと決めたスーツ姿の人も私の前に何人かいます。ワンピじゃなくて入賞したらカッコイイだろうなあ、かえって。2本目は思いきって滑りました。合計タイムの順位が上がるかと思いきやみんなも2本目は思いきり滑ったのでしょう、7位変わらずでした。
大回転 2日目の大回転はスタートが回転より高く急斜面からになります。気温も下がりときどき吹雪き視界も悪くなりました。大回転は一本勝負です。思いきり滑るしかありません。回転より長くスピードも出て楽しめました。回転と同じく7位でした。息子も完走しました。大回転ではますます技術が勝負になりますから練習量でタイムに差がつきます。速い選手の滑りはコース取りに無駄がなくポールぎりぎりをすり抜けるように滑ります。切り替えも早く板のずれも少なくその美しいフォームに惚れ惚れしてしまいます。
競技に燃えるぞ ポール練習は普通のゲレンデではできません。ポールレッスンはどこでもやっているものではないのでなかなか練習の機会がありません。週末が毎週空いているわけではないし、子供たちは野球があるのでなかなか家族でスキーに行くことも難しくなりました。交通費や宿泊費を考えるとかなりお金のかかるスポーツでもあります。これからどうやって競技にはまっていこうかな…いろいろ思案していますがわたしの励みになるのはやっぱり今回一緒に大会に参加した年輩の方々です。健康でありさえすればスキーは逃げません。これからの長い目標ができました。楽しみが一つ増えました。